「主イエスが歩まれたように(Ⅰヨハネ2)」
更新日:2023.6.20
ヨハネの手紙一第2章1~17節
小林克哉 牧師
神を知っているということは、神は光であることを知っていることです。そして神が愛であること、神こそが愛であることを知っていることでもあります。「わたしたちは、神の掟を守るなら、それによって、神を知っていることが分かります。・・・・神の言葉を守るなら、まことにその人の内には神の愛が実現しています。」(3-6節)
神を知っているなら、神の愛、その罪の赦しの中で互いに愛し合うだろうと言われているのです。それが新しい掟に生きることです。「わたしは新しい掟として書いています。・・・・『光の中にいる』と言いながら、兄弟を憎む者は、今もなお闇の中にいます。兄弟を愛する人は、いつも光の中におり、その人にはつまずきがありません。」(8-10節)罪の赦しの光に照らされている時、兄弟を憎む思いから解き放たれ、互いに愛し合うことが起こるのだと言うのです。
教会に生きる者にとって本当に辛いことは、教会で傷つき傷つけられる経験をすることです。教会だけは互いに愛し合うところだと信じているからこそ、傷は深くなります。ヨハネは混乱と分裂の中で傷ついた教会にこの手紙を書きました。教会を混乱に巻き込んだ人々があり、その問題に気づかずに行動した人があり、兄弟姉妹たちが傷つき傷つけられたのです。あの人はあの時こうしたじゃないか。大きな混乱は過ぎ去っていましたが、兄弟への憎しみが残っていたのではないでしょうか。
ヨハネは兄弟姉妹たちが、神が光であり、神こそが愛であることを知らなかった以前の生き方に戻ってほしくなかったのです。もう罪を犯してほしくないのです。イエス・キリストは来てくださり、わたしたちを照らしてくださいました。神こそが愛であることを知っている時に、あなたたちの生き方は変わるはずだ。「わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。・・・・神の内にいつもいると言う人は、イエスが歩まれたように自らも歩まなければなりません。」(1・6節)罪の赦し、神の愛の光に照らされる者として、互いに愛し合いながら、この町で福音を伝える歩みを続けていきたいのです。アーメン
(2023年6月4日礼拝説教より)