札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「生ける神に希望を置いて歩む教会」

更新日:2023.5.8

テモテの手紙第4章1-10節

小林克哉 牧師

人が生きて行くためには希望が必要だと言います。それではわたしたち一人一人は、そしてイエス・キリストの教会は何に希望を置いて歩むのでしょうか。使徒パウロは言います。「わたしたちが労苦し、奮闘するのは、すべての人、特に信じる人々の救い主である生ける神に希望を置いているからです。」(10節)他ではなく生ける神に希望を置くのです。救い主である生ける神がわたしたちの希望となってくださるのです。
この世を生きて行くとは、汚らわしいこと、罪の現実、悲惨の中を生きることです。しかし、そこに神が生きて働いておられることが見えるなら感謝となるのです。わたしたち人間の罪にもかかわらず、神はこの世界を見捨てておられるのではなく、愛と恵みをもって生きて働いておられるのです。十字架のイエス・キリストがその証しです。
この世界の現実がどんなに美しくても、この世界の現実がどんなに醜くても、すべては神の御手の中にある。そこに主は生きておられることを告白し、感謝することができるのです。教会の歩みも同じです。その現実がどんなに美しくても、どんなに醜くても、そのすべては神の御手の中にあるのです。神は見捨てておられるのではありません。わたしたちの群れに神が生きて働いておられることを告白し、感謝することができるのです。
新しい年度の教会総会が行われます。そこでわたしたちは神に悔い改め、神に感謝するのです。わたしは牧者としてこの2年間、この教会での働きをなして来ました。教会の様子が随分わかってきました。この十数年の教会を襲った混乱と試練、教会員の高齢化、経済的基盤の不安定さ、コロナ禍によるダメージがあります。人間的に見れば先行きは明るいものではありません。しかし、わたしは希望をもって歩んで来ました。その理由は神が希望でいてくださるからです。人間的に見ればわたしたちの教会の歩みも大変です。しかし主は生きておられます。
御言葉は信心の鍛錬を勧めています。生ける神を見上げ、感謝する訓練です。そこに留まるのです。わたしたちは人間への期待と希望から脱出し、神に希望を置く教会として歩み出すのです。アーメン

(2023年4月30日礼拝説教より)

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