「茨の冠をかぶる王イエス(ヨハネ51)」
更新日:2023.2.6
ヨハネによる福音書第19章1~16節
小林克哉牧師
イエスさまの逮捕、尋問、裁判の出来事を記す御言葉は、騒ぎ、揺り動かされ、振り回される人々の姿を描いています。大祭司たちは今までの地位や立場に危うさを感じ、イエスさまを抹殺し、自分たちを守ろうと騒ぎ立てました。
ピラトは無実であるイエスさまを釈放しようとしましたが、祭司長や群衆の声に押され、暴動や告発が起こることを恐れ、揺れに揺れイエスさまに死刑判決を下したのでした。
群衆は、大祭司たちの扇動により、興奮高揚して「殺せ、十字架につけろ」と叫びました。冷静になって後で自分の姿を振り返るなら、後悔しても仕切れない、償うことのできないとんでもない罪を犯してしまったのです。振り回されていたのです。
しかし決して動かされない人がいます。ピラトはイエスさまに言います。「お前を釈放する権限も、十字架につける権限も、このわたしにあることを知らないのか。」(10節)この脅しに対しイエスさまは全く動じず答えられました。「神から与えられていなければ、わたしに対して何の権限もないはずだ。」(11節)イエスさまは神の権威と力、そのご支配への信頼のゆえに揺らぐことがありません。御言葉は言います。「イエスは茨の冠をかぶり、紫の服を着けて出て来られた。ピラトは、『見よ、この男だ』と言った。」(5節)「この人を見よ!」
わたしたちは何かあるとすぐ揺れます。コロナ禍、ウクライナ侵攻・・・・。教会も個人も揺れます。この先どうなるのか。代々のキリスト者たちも皆経験してきたことでしょう。揺れながら、しかし立ち続け歩み続けて来たのです。自分に、状況に向かっていた目を、揺らぐことのない確かなお方へと向けることができたからです。「この人を見よ!」
ピラトが「見よ、あなたたちの王だ」(14節)と言われるお方は、わたしたちのために十字架で死にご復活し今も生きておられるお方です。このお方がわたしたちの王であり、わたしたちを治め導いてくださいます。わたしたちが揺れ動くときにも動じることのないお方がおられるのです。どんな時でもどんな状況でも「この人を見よ!」アーメン
(2023年1月29日礼拝説教より)