札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「裏切る者をも守る主(ヨハネ49)」

更新日:2023.1.23

ヨハネによる福音書第18章12-27節

小林克哉牧師

イエスさまが捕らえられ縛られて連れて行かれると、ペトロはこっそり後ろからついて行きました。ペトロは従ったのです。従わなかったのではないのです。イエスさまに従ったのです。そしてイエスさまに従おうする中でイエスさまを否んだのです。「門番の女中はペトロに言った。『あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか。』ペトロは、『違う』と言った。」(17-18節)
ペトロは自分で自分を守ろうとしたのです。誰もが、そうするのではないでしょうか。しかし自分で自分を守ろうとして、嘘偽りやごまかし、誇張によって罪を犯し、結果自らを汚し、時に大切な何かを失ってしまうのです。ペトロが自分で自分を守ろうと、師であるイエスさまを裏切っていたその同じ時、イエスさまがどうであったのか。「大祭司はイエスに弟子たちのことや教えについて尋ねた。イエスは答えられた。『わたしは、世に向かって公然と話した。わたしはいつも、ユダヤ人が皆集まる会堂や神殿の境内で教えた。ひそかに話したことは何もない。』」(19-20節)
大祭司たちが聞き出そうとしたことの一つは弟子たちのことでした。イエスさまのみならず弟子たちも捕らえようとしていたのかもしれません。イエスさまは弟子たちのことをかばわれ守られます。元の言葉では「わたし」が強調されており、三度強調した「わたし」が出てきます。イエスさまは大祭司たちの関心をご自身(わたし)に向けさせ、弟子が話題になることを逸らされたのです。
イエスさまは弟子たちをこの上なく愛し、愛し抜かれます。裏切り離反することを分かった上で愛し抜かれるのです。ペトロを弟子として召された時、イエスさまは既に分かっておられたのです。わたしたちが洗礼を受けた時、イエスさまは分かっておられたのです。「ペトロは、再び打ち消した。するとすぐ、鶏が鳴いた。」(27節)ペトロはイエスさまのお言葉を思い起こし、イエスさまが分かっておられたことに気付いたのではないでしょうか。わたしたちも主日の礼拝の度、御言葉により気付かされます。そして主が知っておられ守ろうとしてくださっていること知り、十字架により罪が赦されて歩み出していくのです。

(2023年1月15日礼拝説教より)

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