「神の決心(降誕③)」
更新日:2022.12.19
マタイによる福音書第1章18~25節
小林 克哉牧師
ヨセフはマリアと婚約していましたが、マリアが聖霊により身ごもっていることを知ります。そのことをマリアから直接告げられたのでしょうか。だとしても、マリアの言葉をそのまますんなり信じられたとは思えません。当時、婚約者がある身にもかかわらず、他の男性との間に子を宿したと表ざたになれば、マリアも胎の子も死刑になる可能性がありました。ヨセフは悩みました。ヨセフは婚約者のマリアを信じることができなかったのです。そこに不幸がありました。
「夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。」(19節)これならマリアは死刑にならずに済み、ヨセフの名誉もどうにか守られます。律法に忠実で正しく生きてきたヨセフの精一杯の決心だったと思います。マリアとは共に生きることはできないという決心です。しかしヨセフの〝正しさ〟では民を罪から救うことはできません。
わたしたちが人生を歩んでいく時、決心を求められることがあります。ヨセフはマリアと縁を切る決心をしていたのですが、神の御心、神の決心を知りました。「マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」(20-21節)
神の決心を知りヨセフは変わりました。「ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。」(24-25節)ヨセフはマリアと共に生きる決心をしたのです。自分の決断、判断にこり固まってしまうのでなく、神の言葉に従ったのです。ヨセフは神を信じたのです。そこに幸いがありました。
ヨセフは神の言葉を聞いて、それにより生きたのです。聖なる神に語りかけられるなら、生ける神の御言葉を聞くなら、人は以前のままではいられなくなるのです。御言葉を食べて養われ、御言葉によって生きるのです。そこに神を信じる者に与えられる幸いがあります。アーメン
(2022年12月11日礼拝説教より)