札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「主は共におられる(降誕①)」

更新日:2022.12.5

ルカによる福音書 第1章39-56節

小林克哉 牧師

天使はマリアに「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられます。」(28節)と言います。そして「マリア、恐れることはない」(30節)と告げました。聖なるお方とお会いする時、人は恐れをいだくのです。祭司ザカリアもそうでした。「主の天使が現れ、香壇の右に立った。ザカリアはそれを見て不安になり、恐怖の念に襲われた。」(11-12節)
〝主は共におられる〟は聖書全巻を貫いているメッセージです。聖なる神が共におられるとは本当はあり得ないことです。聖なるお方、本当はあり得ないお方が、ただその愛と憐れみ、恵みにより一方的に近づいて来てくださり、共にいると言われるのです。この聖なる神をわたしたちは知っている気になっていないでしょうか。
神は天の高みを知り、陰府の深みを知り、全歴史に満ちているお方です。これ以上ないという栄光を受け、これ以上ないという闇を知っておられます。どこに行っても神に隠れることはできず、神はすべてを知り、すべてに満ちておられるのです。
わたしたちは、本当は陰府の深みも罪の深みも知らないのです。天の栄光・喜び・祝福の高みも知らないのです。それでいて分かっているつもりになっているのです。マリアは完全で清く罪一つない特別な人だったのでしょうか。そのようなことは聖書に一言も書かれていません。
天使の御告げを受けたマリアは恐れ、戸惑い、疑問を持つのです。マリアもまた聖なる神の御前で罪人なのです。ただ神の一方的な選びにより、恵みによってマリアは選ばれたのです。「あなたは神から恵みをいただいた。」(30節)あり得ないお方が、共にいると言われるのです。それはあなたの罪を赦しているとの宣言でもあります。罪が赦されるためにイエス・キリストは人となって生まれ、十字架で贖いの死を遂げてくださるのです。
今この町での伝道に召されているわたしたちにも主は、本当はあり得ないお方が「わたしはあなたと共にいる」と言ってくださっています。ですから、わたしたちもマリアと共に「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」(38節)とお応えしたいのです。アーメン

(2022年11月27日礼拝説教より)

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