「主が選ばれた人々(ヨハネ42)」
更新日:2022.10.3
ヨハネによる福音書第15章11-17節
小林克哉牧師
本日は召天者記念礼拝です。先に神の御許、天に召された兄弟姉妹を覚えて礼拝をささげています。 天に召された兄弟姉妹はぶどうの木であるイエス・キリストにつながれ実を結んだ人たちです。天にある者も、地にあるわたしたちもイエス・キリストに選ばれた者たちです。
イエスさまには多くの弟子があり、十二人の特別な弟子がいました。当時、律法の教師であるラビには弟子がいました。弟子はこの師のもとで学びたいと、師を選び弟子入りしました。ところがイエスさまの場合は違ったようです。ガリラヤ湖畔で漁をしていたペトロたちに「わたしについて来なさい」と言われ、イエスさまの方から弟子として選ばれたのでした。徴税所で税金の取り立てをしていたマタイに「わたしに従いなさい」と言われ弟子とされたのです。イエスさまが弟子を選ばれたのです。
イエスさまはわたしたちを選んでくださいました。それは聖なる愛によって選んでくださったということです。敵をさえ友とする、世とは違う神だけの聖なる愛です。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(13節)イスカリオテのユダを選べば、裏切りご自分が十字架で死ななければならなくなることを知って選ぶ聖なる愛です。離反するペトロたちを選べば贖いの死を遂げねばならないのです。
イエスさまは言われます。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと・・・わたしがあなたがたを任命したのである。」(16節)
選んだのは実を結ぶためです。救いの実であり、愛の実です。ぶどうの木につながる枝が実らす実です。自分が結んでいるのではなく、キリストによって結ばれているから結ぶ実です。信仰、希望、愛も、わたしたちが結んでいるのではなく、キリストがわたしたちという枝に実られてくださるのです。祈り、賛美、礼拝も、救いの喜びも感謝もです。
天にある者も地にあるわたしたちも、ただ一方的な恵みにより、聖なる愛により選ばれていることを感謝したいのです。アーメン
(2022年9月25日礼拝説教より)