「キリスト者の義」
更新日:2016.4.11
マタイによる福音書5章17-20節(新P7)
牧師 米倉 美佐男
「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。」(17節)
読んでいただいた箇所はキリスト者の在り方と言ってもいい内容のことが語られています。クリスチャンは地の塩、世の光と言われます。語られていることについて見てみましょう。イエスが来られたのは律法、預言者を廃するためでなく、完成するためだと言われます。律法、預言者とは旧約聖書のことですが、広い意味では神の言葉、聖書です。聖書が預言していたメシアがイエス様です。
神の約束が預言通り完成したという宣言です。大事なことは約束の成就です。しかし、約束が完成しても、律法、預言者はいらなくなったのではなく、天地が滅び行くまで一点一画も消え去ることはないのです。神の御言は必要であり、大事にされなくてはならないのです。律法を完璧に守ることのできる人はいません。いや、ただお一人、イエス・キリストだけがおできになったのです。そのお方によって、たとえ律法を守れなくてもイエスを信じるなら天の国に在ることができるのです。
最後に確認すべきは、律法学者、ファリサイに比して、私たちが天国に入るためには私たち自身の義が彼らの義に勝っていることが必要なのです。彼らより勝る義が必要だと言われます。義とは神との関係という意味です。広い意味では信仰です。ここで言われていることは結局、私たちの信仰が問われているのです。聖書の言葉を守ることで救われるとか、自分の力で救いを得るのでなく、唯一の義であるイエスを主と信じる信仰によって、私たちも神の義へと導かれるのです。神とのゆるぎない関係へと結ばれる。天の国、神のご支配のうちに生かされる生き方、それがキリスト者の義であるのです。
(2016年4月3日復活節第2主日礼拝説教より)