「ろばの子に乗った王イエス(ヨハネ33)」
更新日:2022.8.1
ヨハネによる福音書第12章12-19節
小林克哉牧師
イエスさまはエルサレムに入城されます。弟子たちが、群衆が分かって迎えてくれたからではありません。分かっていない人たちのところに、しかしやって来られたのです。神の救いのご計画、御心が成るため、命をささげるために来られたのです。強いご意志をもって来られたのです。
わたしたちはどれほどイエスさまのご意志、神の御心が分かっているでしょう。群衆と変わらないのではないでしょうか。しかし、イエス・キリストはわたしたちのところに来てくださり、今共におられ、ここにご臨在くださるのです。
イエスさまは、「ろばの子を見つけて、お乗りになった」(14節)のでした。軍馬ではなく、ろばに、ろばの子にお乗りになったのです。「シオンの娘よ、恐れるな。見よ、お前の王がおいでになる。ろばの子に乗って。」(15節)ゼカリヤ書の預言が成就したのです。ゼカリヤは続けて「諸国の民に平和が告げられる。」(ゼカリヤ書9章10節)と預言しています。イエスさまは、剣を帯びるのでなく丸腰で、平和の王として来られるのです。
イエスさまは「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。」(14章27節)と言われました。ローマの平和のような世が与える平和とは圧倒的な力により征服し、逆らう者に恐怖を与えることによってもたらされる平和です。平和と言っても、支配される者と逆らえない者との間の均整としての平和です。イエスさまは世が与えるように平和を与えるのではありません。
イエスさまは十字架で死なれご復活した後、弟子たちに現れ言われました。「あなたがたに平和があるように」(第20章19・26節)。弟子たちは十字架により罪赦され神との和解が与えられたのです。神との間に平和を得たのです。聖書が語る平和はまずもって神との平和です。神のもとにある神と共にある平和です。今はもう罪に対する神の怒りも裁きも心配することなく、赤子が親に抱かれているように安心し、平和の王としてイエスさまをお迎えし賛美をささげます。「ホサナ。主の名によってこられる方に、祝福があるように。イスラエルの王に。」(13節)
アーメン。
(2022年7月24日礼拝説教より)