札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「復活の主が語りかけておられる(復活祭)」

更新日:2022.4.25

マルコによる福音書第16章9-18節(新97頁)

小林克哉牧師

イースターおめでとうございます。神はイエス・キリストを死人たちの中から甦らせられたのです。イエスさまは死の力に勝利してご復活し、永遠の命をお与えになることがおできになるお方であることを示し、今も生きておられるのです。
イエスさまはただご復活されただけではありませんでした。そのまま天に昇り、御父の右に座すこともおできになったでしょう。しかしイエスさまは弟子たちに現れ、語りかけてくださったのです。マグダラのマリア、二人の弟子、他の弟子たちに現れてくださったことが今朝の聖書の箇所に記されています。この三つの出会い・再会の記事に共通する言葉は「信じなかった」(11・13・14節)です。
イエスさまは弟子たちの不信仰とかたくなな心をおとがめになられましたが、それは愛のゆえです。もしイエスさまが弟子たちのことを見放しそのままにしておかれるのなら、おとがめにはならなかったでしょう。イエスさまはこの弟子たちの罪のために、わたしたちの不信仰とかたくなな心、その罪のために十字架で死んでくださったのです。そうであるなら、どうしてわたしたちは自らの不信仰とかたくなな心を認めずにいられるでしょうか。イエスさまは信じる者たちの中にご自身を現されたのではなかったのです。信じない者たちにご自身を現し、世界伝道を命じられたのです。
このイースターに受洗者が与えられました。わたしたちが立派な信仰を持っているからではありません。わたしたちは誰も誇ることができるような信仰ではなく、不信仰とかたくなな心を持つ者たちであることを知っています。しかしそのようなわたしたちの教会を用いて、一人の姉妹がイエス・キリストを信じて洗礼を受けることになったのです。
このイースターの朝、ご復活の主イエス・キリストが語りかけてくださいます。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」(15節)この2022年のイースター、わたしたちの教会は、復活の主にとがめられ、自らの罪を、不信仰とそのかたくなな心を認め、悔い改めて、福音伝道の旅へと出て行くのです。
アーメン

(2022年4月17日礼拝説教より)

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