「まことのぶどうの樹」
更新日:2016.4.25
ヨハネによる福音書15章1-10節(新P198)
牧師 榮 潤子
主イエスは復活後40日間弟子達や人々に現れ、その後天にあげられ、その10日後に聖霊が降って私達の教会が誕生しました。
教会の暦で復活後の日々にあることを覚えています。
今日のぶどうの木のたとえは主イエスが十字架にかかる前に弟子に語られた告別説教の一部とされています。ここに記されている主イエスの弟子達への思いは後につながる教会への思いに重なります。十字架への覚悟をもって語る主イエスととまどう弟子達の姿が感じられます。
「わたしはまことのぶどうの木」とは主イエスと弟子との関係がぶどうの木と枝にたとえられています。主イエスは神である農夫によって植えられたみ心にかなったぶどうの木。ぶどうの木と枝の関係は主イエスと弟子の一致をあらわしています。しかし弟子自身がかかわることなしには与えられません。主イエスはとどまって実を結ぶようになることを命じるだけでなく彼らに力を与える者でもあります。弟子達が実を結ぶとは、愛の相互関係をもつようになることです。
主イエスの十字架と復活後の弟子達はどうだったでしょうか。ヨハネによる福音書20章にはその様子が記されています。
彼らがユダヤ人をおそれて部屋に閉じこもっていた時主イエスが真ん中に現れ声をかけられ「平安あれ、わたしが遣わされたようにあなたがたを遣わす」と言われ息を吹きかけられた、と記されています。しかしその時不在だったトマスはみんなの言う復活のイエスを信じられず、「主の釘跡を手とわき腹に見なければ信じない」と言います。8日後同じ部屋に主イエスがあらわれ、釘跡を示します。これにトマスは「わたしの主、わたしの神よ」と言ったのです。これに対し主イエスは「わたしを見たので信じたのか、見ないで信じる者は幸いである」と言われました。
この弟子達がぶどうの木につながる枝となり聖霊をうけて教会となったのです。私達もこのぶどうの枝となって木につながっていきましょう。
(2016年4月17日復活節第4主日礼拝説教より)