「近づいて来られるキリスト」(ヨハネ17)」
更新日:2022.3.2
ヨハネによる福音書第6章16-33節 (新174頁)
小林克哉 牧師
神が語りかけてこられるお言葉を聞く、神とお会いすることは恐ろしいことです。「イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られるのを見て、彼ら(弟子たち)は恐れた。イエスは言われた。『わたしだ。恐れることはない。』」(19-20節)「わたしだ」は元の言葉では「エゴー・エイミー」です。神が民にご自身を現す時の言葉です。イエスさまが神であることが示されているのです。弟子たちは近づいて来られる独り子なる神を恐れたのです。嵐を恐れ、失敗を恐れ、病を恐れ、死を恐れる。そういう恐れがあります。しかしそれらとは比べることのできないほどの恐れです。罪人が聖なる神とお会いし、その御声を聞くのですから。
神と出会い、神に語りかけられる時、人はそれまでの自分のままではいられなくなります。これまでの自分ではだめだと真に認めることは苦しく、変わるということは恐いことです。しかし自分は何も変わることなく安全地帯に身を置いて御言葉を聞くことはできません。信じていなかった者が、神と出会い、神に語りかけられるなら、それまでの自分のままではいられなくなります。信じる者に変えられるのです。神の言葉を聞く以前の姿のままではいられないのです。一度キリストを信じたら安全地帯に入るのでしょうか。長年キリスト者として歩んでいれば、もう変わらなくてよいということはあり得ません。御言葉により日々新しくされるのです。
「イエスは言われた。『わたしだ。恐れることはない。』」(20節)あなたの罪が赦されるために十字架で死んだ「わたしだ」。永遠の命を与える天からのパンである「わたし」だ。「恐れることはない」 。弟子だけの舟は目指す地へ着くことができませんでした。わたしたち一人一人の歩みもそうでしょう。神が与えるそれぞれの目指すべき地、そして永遠の御国という目指すべき地へはイエス・キリストによらなければ着くことはできないのです。教会の歩みもそうです。弟子であるわたしたちだけの舟は目指す地に着くことはできません。わたしたちの教会もまた嵐の湖の中で前にも後ろにも進むことができなくなっているかもしれません。そんなわたしたちにイエス・キリストは近づいて来てくださり、語りかけてくださいます。
(2022年2月20日礼拝説教より)