「主により始まる新しい旅」
更新日:2022.1.17
マタイによる福音書2章1-12節(新P2)
小林克哉 牧師
クリスマスの光の中で主の年2022年を迎えました。最初のクリスマス、イエスさまに宝を献げた者たちがいました。占星術の学者たちです。元の言葉ではマゴス、ペルシャの祭司階級を指す言葉です。魔術師、錬金術師、占星術師、天文学者などの意味でも使われています。異教世界の精神的エリートです。人生の成功者。地位、名誉、財産も手に入れていたでしょう。
学者たちがユダヤの地へと旅してきて最初に会った王はヘロデでした。自らの地位を守るためなら家族の命さえ奪った人です。自分のために生きた人です。マコトの王、マコトの牧者を知らなければヘロデ以外の生き方があるでしょうか。
「彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」(9-11節)宝は学者たちの人生の結晶であり人生そのものだったと言えないでしょうか。努力の末に遂に手に入れることができた宝を献げることができるお方と出会ったのです。
ところでこの宝、イエスさまに必要なものだったのでしょうか。たとえそうでなくてもイエス・キリストは宝を、学者たちの人生そのものを受け取り受け入れてくださったのです。マコトの神を知らずに生きてきたその人生がイエス・キリストの十字架による罪の赦しの中に受け入れられるのです。学者たちは悔い改めて、それまで王としてきたもの、宝としてきたものを手放してしまうのです。そしてマコトの王、メシアだけを礼拝する者に変えていただいたのです。
「ところが、『ヘロデのところへ帰るな』と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。」(12節)「ヘロデのところへ帰るな」です。自分のためだけに生きる、人間の誰かに従う生き方でなく、マコトの王、マコトの神と出会い、そのお方に従う旅が始まるのです。この幼子は十字架でわたしたちを救うため贖いの死を遂げるマコトの牧者に導かれ旅をしていくのです。一人一人の歩みがそうであるように、時に教会も新しい旅を始めるのです。もう元の道には戻りません。アーメン
(2022年1月2日礼拝説教より)