「今こそ、神を礼拝する時(ヨハネ10)」
更新日:2021.12.17
ヨハネによる福音書4章1-26節(新P168)
小林克哉 牧師
「クリスマス」は「キリスト(クリストス)+ミサ(礼拝)」という言葉から来ています。キリスト礼拝がクリスマスの意味なのです。今朝の御言葉でイエスさまはまことの礼拝について語っておられます。「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。」(23節)父なる神がまことの礼拝をする者を求めておられる。人間がでなかく、神が求めておられる。
イエスさまはサマリアの地シカルの井戸辺に座っておられました。そこに一人のサマリアの女性がやって来たのです。ユダヤ人とサマリア人は敵対する関係です。しかしイエスさまの方からサマリアの女性に声をかけられたのです。もしそうしなければ、サマリアの女性の方からイエスさまに声をかけてくることはなかったでしょう。イエスさまは関係を作り出そうとされる。「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」(14節)
永遠の命とは、この神と永遠の、すなわち完全で尽きることのない愛の交わりです。それがまた神の国とも呼ばれるのです。罪により命の源である神から離れ―滅びるしかないわたしたち―損なわれてしまったこの神との関係を回復してくださるために、イエス・キリストは来てくださったのです。
礼拝とは神がわたしたちにお会いくださり、わたしたちと交わりをもってくださることです。神が語りかけてくださり、わたしたちがそれに応える交わりです。神の国で全き仕方で実現する神との完全な愛の交わり、すなわち永遠の命が今すでに始まっているのです。エルサレムでないとダメ、ゲリジム山でないとダメ。そんなことはない。ご復活の主イエス・キリストの体という神の神殿(2章21節)によって、わたしたちにも可能にされたのです。
父なる神の方から礼拝を求めてくださり独り子を遣わしてくださったのです。それがクリスマスであり十字架の出来事なのです。そして今、永遠の命の恵みが始まっている。「神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」(24節)アーメン
(2021年12月12日礼拝説教より)