札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「恵みと真理に満ちた主の栄光(ヨハネ2)」

更新日:2021.10.18

ヨハネによる福音書1章6-18節(新P163)

小林克哉 牧師

ヨハネによる福音書はイエス・キリストがどのようなお方であるかを証言しています。ヨハネは天地創造の前、永遠の昔に神と共にあり神であられた<言>について語ることからイエス・キリストの証言を始めるのです。ヨハネは「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」と言うのです。この肉となった<言>、すなわちマコトの人となられたマコトの神が、実はイエス・キリストであり、人々に神の言葉を語り、力ある御業をなされ、十字架で死なれ三日目にご復活したと語るのです。
ヨハネが「わたしたちはその栄光を見た」と言う時、それはマコトの神の栄光について語っています。当時の人々は地中海世界を支配する権威と権力ゆえにローマ皇帝の栄光を称えていました。栄光とは人々が称えずにいられないものでしょう。ヨハネは人間の栄光ではなく、本当にそれを知ったなら誰もが称えずにいられないマコトの神の栄光を語るのです。「それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」
昔イスラエルの民が約束の地を目指し荒野の旅をしていた時、民の天幕(テント)が立ち並ぶ中、その間に立てられた臨在の幕屋(天幕)は、神が民と共におられることを示すものでした。「雲は臨在の幕屋を覆い、主の栄光が幕屋に満ちた。」(出エジプト記40章34節)イエス・キリストによってマコトの神はマコトの人となってわたしたちの間に宿られた(=天幕を張るとも訳せる)のです。イエス・キリストにより、神がわたしたちと共におられることが示されているのです。
ヨハネが栄光と語る時、それは十字架と復活の栄光です。イエスさまはわたしたちの罪の贖いのために十字架で犠牲となってくださいました。わたしたちはただこの十字架の恵みにより神の子とされるのです。ここに救いの真理があります。神が神の民と永遠に共にいてくださる神の国の恵みと真理が、イエス・キリストによって始まりもたらされるのです。わたしたちが本当にそれを知ったなら称えずにいられない神の栄光は十字架に現れているのです。

(2021年10月10日礼拝説教より)

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