「すべての人を照らす光」
更新日:2021.10.11
ヨハネによる福音書1章1-13節(ヨハネ1)
小林克哉牧師
ヨハネによる福音書は次のように始まります。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、始めに神と共にあった。万物は言によって成った。」(1-3節)聖書の最初、創世記の書き出しを思い起こさせる言い方です。「初めに、神は天地を創造された。」(創世記1章1節)イエスさまのことを証しするため、この福音書は天地創造の前から語り出します。神は、永遠のはじめから神と共にあり、神であられるところの<言>、すなわちイエス・キリストによって語られたと言うのです。このお方によって真の神が示されたのです。
神とはどのようなお方なのか。わたしたち人間は自分の経験や理性、願望によって神とはこのようなお方のはずだと考えます。しかし人間が考えつく程度のものが真の神でしょうか。真の神の側から人間にご自身を啓示してくださらない限り、わたしたちは真の神に出会うことはできません。神により成った(創造された)世界は、しかし神を理解せず、認めず、受け入れないとも言われます。「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中に輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」(5-6節)
人間にとって最も重要なこととは何でしょうか。経済、人間関係、自由、夢の実現、自己肯定感、体の健康…。聖書は人間にとって最も重要なことは、真の神との関係であると言うのです。光に照らされはっきり見えてくるなら分かるだろうと。そこがないと、他の何を手に入れても実は救いではないのだと。
人間の方からそのことを分かって光を求め、捜したのではないのです。光のほうから来てくださり、わたしたちを照らしてくださったのです。十字架の光、罪の赦しと愛の光です。復活の光、永遠の命と希望の光です。光を理解せず、認めず、受け入れない者にも、まことの光が証しされています。あなたも照らされています。あなたがたとえ今暗闇の中にあると感じていても、まことの光が照らしてくださいます。イエス・キリストが光となってくださいました。
(2021年10月3日礼拝説教より)