札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「その先にもある主の愛」

更新日:2021.7.16

ローマの信徒への手紙 8章37~39節(新p.285)

坐間 豊牧師(十二使徒教会)

カナダで牧師となる按手礼のときの励まし「信じる喜びを教会で表し続けよ!」すると? 聖書では、アブラハムも東の国の学者たちも、神様の導きを信じて従い、喜ぶ。すると、感謝の捧げ物に至る。パウロも「私の主キリスト・イエスを知ることのあまりの素晴らしさに比べれば、他の一切は損」(フィリピ3:8)と言い、自分を主に捧げ(献身)、イエス様を信じる喜びの感謝としている。どんな未知や不安や困難の中でも、前におられる救い主イエス様を信じて、喜ぶと、感謝を表す生き方になる:そう、聖書は導く。
そのパウロはクリスチャンの迫害者から一転、信仰者・伝道者になる。波乱万丈の日々は危険だらけ。キリストの愛からも引き離されそう。それでも、今日の言葉のように、彼は感謝に行き着いている。なぜ、そうなるのだろう?
クリスチャンとして喜び歩むパウロには、辛く苦しい日々も『すでに神様が約束された“神の愛の働く神の国”の始まり』と分かったからだ。そう、ローマの信徒に今日の聖句で証ししている。讃美歌11番にも同じ信仰があり、「私が受けた災いも不幸も、私たちの思いを越える神様の御心の表れた」と喜んで受け入れる。信仰によらなければあり得ない理解だ。パウロは「私の身に起こったことが、かえって福音の前進に役立った」(フィリピ1:12)とさえ言う。今の災いや不幸に「何も良いことはない」と文句を言う私には、「その先にある主の愛」と信じる信仰が欠けていないかーこう気づきことは貴い。ここから感謝は近い。
私たちを救う「イエス様の十字架の死と復活」についての気づきも、同じ:罪ある私たちが救われることは神様の愛の表れ:そして、福音の前身に役立つ!これに気づき、喜ぶと、その先がある:感謝を表さずにはいられません!
それが礼拝。私たちが主を愛し、信じ、喜んで従うとき、感謝が礼拝になって表れる!感謝の礼拝から、さらにその先に主の愛が表われ、働き、実る。なんと感謝なことか!
さぁ、私たちはこの礼拝で主の愛に気づき、主を愛し主を喜び、主に感謝を捧げる新しい一週間を始めて行こう!

(2021年7月11日礼拝説教より)

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