「聖霊により心一つにして」
更新日:2021.6.9
使徒言行録4章23~31節(新約220頁)
小林克哉牧師(呉平安教会)
聖霊なる神はわたしたちを一つにすることがおできになる方です。最初の教会は試練の中で心一つにして祈ったのでした。「これを聞いた人たちは心を一つにして、神に向かって声をあげて言った。」(24節)
最初の教会は指導者使徒ペトロとヨハネの逮捕、投獄という試練に遭います。教会の群れは恐れ不安となり、これからどうしていけばよいのか迷い、心細かったでしょう。礼拝に集まらないほうがいいのでないか。しばらく伝道するのは諦めよう。そんなことを言う人たちが出てきてもおかしくない状況でした。使徒ペトロやヨハネがいない中、残された者たちは不安の中で必死に考え祈ったでしょう。無牧やコロナ禍の今、わたしたちも同じかもしれません。
ユダヤ当局に脅され、やっとペトロとヨハネは釈放されました。エルサレムにいるのは危険と逃亡することもできましたが、ペトロたちは残され不安の中にいた主の愛する羊の群れのところに戻ったのです。「さて二人は、釈放されると仲間のところへ行き、祭司長たちや長老たちの言ったことを残らず話した。」(23節)美しい門での足の不自由な者のいやし、神殿の境内での伝道、逮捕投獄、ユダヤ当局による脅しに屈しなかったこと。ペトロたちの証しを聞き、弟子たちは心一つになって祈りました。
百人いれば百人の意見があります。人は何によって心一つになることができるのでしょう。弟子たちは、聖書が証し、イエス・キリストの十字架により示された神の御心に思いを向けたのです。人を本当に一つにすることができるのは神の御心による以外にはないのです。ユダヤ当局の脅しにもかかわらず教会は御心の実現のため祈ったのです。「大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。」(29節)
わたしたちは一つになることへと招かれています。聖霊は神の御心によってわたしたちを一つとしてくださるのです。それ以外の仕方で教会は一つになるのではないのです。「祈りが終わると、一同の集まっていた場所が揺れ動き、皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだした。」(31節)この聖書箇所は第二のペンテコステと呼ばれますが、今札幌教会も聖霊の注ぎを受け心一つにして祈り、新しく歩み出すことができるのです。
(2021年5月30日礼拝説教より)