「キリストの体」
更新日:2021.2.5
コリントの信徒への手紙一12章12-31節(新316頁)
米倉 美佐男 牧師
「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。」(27節)
あなたがたはキリストの体ですとパウロは語り出します。キリストの体(ソーマ クリスティ)、それは教会を表しています。12節以下で展開されるのは27節までキリストの体である教会についてのことです。そして28節―31節では教会の働きを記しています。
教会は統一体として存在します。教会は洗礼を受け一つの霊を飲ませて頂いた者の集まりです。御霊に満たされた者たちにはいろいろな部分、様々な働きがあります。統一体ではあるが部分部分に多様性があり、多様性があるにもかかわらず一体性があるのです。教会はユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、奴隷であろうと自由人であろうとそこに集められた者たちみんなが一つの体となるのです。
体全体の統一性と、部分部分の多様性があることを示すのは教会にはいろいろな人が集められていることを教会員は自覚すべきだからです。手、足、目、耳それぞれが与えられた働きを全うすることが大事なのです。一人の人間には見える見えないにかかわらず多くのパーツがあります。教会も同じくキリストの体として集められた一人一人、性別、国籍、身分の違いがあっても、すべてキリストの体
を表すために老いも若きもみな各自の賜物(カリスマ)を主のために献げるのです。体全体が分裂を起こさず、互いに配慮し合いながら。苦しみも喜びも共にするのです。
一人一人に与えられた賜物はそれぞれ特有のものであり、みな同じではありません。主に在って各自が与えられた賜物を献げる時に多様な働きと互いに他者を必要としていることが分かるのです。自分のためでなく主のために頂いた賜物を献げる時に調和が生まれます。
「あなたがたはもっと大きな賜物を受けるよう熱心に努めなさい。」(31節)
(2021年1月31日礼拝説教より)