「霊的な賜物」
更新日:2021.1.29
コリントの信徒への手紙一12章1-11節(新315頁)
米倉 美佐男 牧師
「聖霊によらなければ、だれも、「イエスは主である」とは言えないのです。」(3節)
パウロがコリントの教会の人々に願っているのは霊的賜物について、それがみな神から一人一人に分け与えられたものであり、神からの恵みだという事実を知って欲しいということでした。主イエス・キリストに出会う前はみな異教徒でした。そしてあなたがたはみな偶像をあがめていたのです。どうしても今あなたがたに言っておきたい。それはわたしたちが「イエスは主である」と言えるのは聖霊の働きなのだということを。
聖霊によらなければだれもイエスは主であると告白することはできないのです。イエスを信じているといいながら「イエスは神から見捨てられよ(アナテマ)」とは言えない。パウロは警告するのです。神の霊によって語る人は誰もそのようには言わない。言う人がいればそれは神の霊によるのではありませんと。
パウロはコリント教会の人たちに警告をした後、話を先に進めます。4節以下に語られているのは、教会内における働き、それを担う人々に与えられた賜物(カリスマ)についてです。当時の教会の姿を知ることができます。「霊の賜物」、「務」、「働き」の三つが挙げられています。
それは8節~10節で語られていることと密接なつながりがあります。さらに大事な事は同じ霊、同じ主、同じ神とあり、三位一体の原型がここに見られます。父、子、聖霊についての記述です。パウロは教会内の問題を解決させるために教会員に伝えたいことを語ります。それは教会でのすべての働きが「恵みの賜物」であり、それは自分の力で獲得したのではなく、すべて聖霊を通して神から分け与えられたものだということでした。そして一人一人に霊の働きが現れるのは、全体の益となるためであるのです。
(2021年1月24日礼拝説教より)