「神は我々と共におられる」
更新日:2020.12.28
マタイによる福音書1章18-23節(新約1頁)
米倉 美佐男牧師
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」 (23節)
御子主イエス・キリストのご降誕を心からお祝いいたします。クリスマスの主題を「喜びを静聴す」としました。み言葉に静かに耳を傾け、クリスマスの喜びを聴く時としたいと願います。私は皆さんと共に過ごせる最後のクリスマスです。1976年神学校を卒業し札幌教会を9月で辞任し、来年3月で務を終え、牧師を隠退します。40年有余の伝道者生活を導き用いてくださった主と受け入れてくれた教会、育ててくれた母教会の神奈川教会に心から感謝します。
毎年イブの礼拝説教の冒頭で必ず紹介してきた「キリストが千度ベツレヘムに生まれても、あなたがたの心にキリストがお生まれにならなかったらあなたがたの魂は救われません」、すべては虚しいというシレシウスの言葉は、母教会の父のように慕った牧師から教えられた言葉です。
この言葉を中学生になって大人と一緒のイブ礼拝で初めて聞いた時の大きな驚きと喜びを皆に伝えたいと思い語り続けてきました。
与えられた聖書の箇所は「イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。」(18節)と始まります。母マリアと父ヨセフは婚約中であったが正式に結婚する前にマリアが身ごもります。真面目な思いやり深い夫ヨセフはそのことが公になるとマリアの身に危険が生じることを案じて婚約を解消しようとします。その時彼は夢を見ます。天使はマリアの胎の子は聖霊によって宿った、だから結婚しなさい。そして生まれるのは男の子、名をイエスと名付けなさいと言いました。それは聖書の預言が成就することでした。夢から覚めたヨセフはお告げ通りマリアと結婚し、与えられた子をイエスと名付けました。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名をインマヌエルと呼ぶ。」(イザヤ書7章14節)。インマヌエルは「神は我らと共におられる」という意味の言葉です。イエス・キリストの誕生の出来事はすべて神の御業であり、人が介入することはできません。ただ人は必要とされて用いられるだけなのです。
(2020年12月20日礼拝説教より)