「信仰による祝福に生きる」
更新日:2020.11.13
ガラテヤの信徒への手紙3章1-14節(新345頁)
ディヴァン・スクルマン宣教師
ガラテヤ地方の諸教会の多くはパウロによって始められました。ですからパウロはガラテヤ教会のメンバーに対して父親のような真剣さと親密さで接しています。そのことが3章1節の表現からはよく分かります。「ああ、物分かりの悪いガラテヤの人たち、だれがあなたがたを惑わしたのか。目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示されたではないか。」これまで抑えてきた思いが爆発したような表現です。パウロはガラテヤの人々を大切に思えばこそ、放ってはおけないのです。
6節では創世記15章6節が引用されていました。「アブラハムは神を信じた。それは彼の義と認められた。」アブラハムが義とされたのは、彼が神さまを信じたことによるのだ、とパウロは言っています。ガラテヤ教会の中で、割礼を受けた者だけが「アブラハムの子」であるならば、ユダヤ人だけが「アブラハムの子」であり、神さまがアブラハムに与えた祝福の約束を受け継ぐ者だということです。異邦人は異邦人のままで救われるのではなく、割礼を受けてユダヤ人となることによって初めて祝福の約束を受け継ぐことができるのです。
しかしパウロは、創世記12章3節のみ言葉を引用してこのように言っています。「聖書は、神が異邦人を信仰によって義となさることを見越して、『あなたのゆえに異邦人は皆祝福される』と言う福音をアブラハムに予告しました。」(v.8-9)ここでパウロは「聖書は、見越して、予告した」という特別な語り方をしています。それによって、神の言葉である聖書がアブラハムにあらかじめ伝えた「あなたのゆえに異邦人は皆祝福される」という福音が、異邦人が信仰によって義とされることにおいて実現した、と言っているのです。神さまがアブラハムに与えた祝福の約束は、主イエス・キリストの十字架における贖いの死によってすでに実現したのです。私たちはすでにこの祝福の中に入れられています。この世に不安と混乱に満ちた世界にイエスの愛と希望を証しし、福音を告げ知らせていくのです。
信仰によって私たちは、神の祝福が与えられて生きる力となりますように。
(2020年11月8日礼拝説教より)