「キリストの思いを抱く」
更新日:2020.7.10
コリントの信徒への手紙一2章6-16節(新301頁)
米倉 美佐男牧師
「しかし、わたしたちは、信仰に成熟した人達の間では知恵を語ります。それはこの世の知恵ではなく、また
この世の滅びゆく支配者たちの知恵でもありません。」(6節)。
信仰に成熟した者とはどのような人でしょう。成熟した者の 間では語ると言う知恵とは何でしょうか。パウロは続く7節で、「わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられたものです。」と言います。
同じ知恵と言う言葉を使っていても全く別の意味を有する事を論じています。パウロが大事だと語っているのはあくまでも信仰の立場からのもので神の知恵と言い、この世の知恵ではないと明言しています。そしてそれは、この世の支配者たちはだれ一人みな主の十字架の栄光の意味を理解できなかったと言うのです。もし理解していたら主を十字架につけることはなかったのだから。
ここの結論は「キリストの思いを抱け」です。それを与えてくれるのが聖霊です。まだ信仰的に未熟であった時にも神が愛する神の民に備えてくださったように、わたしたちも聖霊の導きによって必要なものが与えられているのです。わたしたちは神の霊により、神によらないこの世の知恵ではなく、自分勝手な思いでなく、何が正しい知恵なのかを見極める信仰の耳や目を養いなさいと言われているのです。それがないからあっちの人よりもこっちの人がいいとか悪いとかと言って混乱するのだと。本当に大事にしなければならないこと、それは信仰的見方を培うことです。
「わたしたちがこれについて語るのも、人の知恵に教えられた言葉によるのでなく“霊”に教えられた言葉によっています。つまり、霊的なものによって霊的なことを説明するのです。」(13節)、キリストの思いを抱いて。
(2020年7月5日礼拝説教より)