札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「あなたは何者か」

更新日:2020.2.17

ローマの信徒への手紙9章 19-29節 (新約287頁)

米倉 美佐男牧師

「わたしは、自分の民でない者をわたしの民と呼び、愛されなかった者を愛された者と呼ぶ。」(25節)

「神はご自分が憐れみたいと思う者を憐れみ、かたくなにしたいと思う者をかたくなにされるのです。」(18節)、イスラエルを神の民として選ばれたのは神です。すべては神のご支配のもとにあるのです。パウロはさらに神の大いなる御手のわざを人々に指し示します。ただ、そうであるなら人間は皆神のご意志に反対することはできないのだから人間には責められる責任はないはずだと言う人が出てくるだろう。

そう言ってパウロは、「人よ、神に口答えするとは、あなたは何者か。」(20節)被造物である者が創造者に対してどうしてわたしをこのように造ったのかと言えるのかと問うのです。自分の物差し、価値観で神に言い逆らう愚は身の程知らずだと言います。「あなたは何者か」という問いは根源的なものです。ヨブ記の中でも最後に神が嵐の中から「これは何者か」(ヨブ38章2節)とヨブの問いに初めてお答えになる場面を彷彿とさせます。

この根源的問題にパウロは旧約の預言者の言葉を加えます。21節の陶工や粘土の部分はイザヤ書の64章7節、エレミヤ18章6節の言葉を思い出します。それらの引用は創造主の絶対性です。造られた者が造ってくださった神に文句を言うのは間違いだと。神の怒りで裁かれても仕方ない存在の私たちが、神の忍耐と憐れみを受け、ユダヤ人だけでなく異邦人も神の民として召し出されているのだと。あなたがたも神に選ばれ、求める者はすべて主の民として門戸が開かれている。ホセアとイザヤの引用も神の愛と選びの確かさを示します。神はこの歴史の中で罪人としての人を忍耐をもって憐れんでいて下さる。それが神の恵みです。全てに先行する神の愛であり永遠的意志であるのです。

(2020年2月9日礼拝説教より)

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