札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「献げる」

更新日:2020.1.14

ローマの信徒への手紙12章1-8節 (新約291頁)

米倉 美佐男牧師

「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。」(1節)

2020年新年礼拝を献げることができますことを感謝します。クリスマスと年末最終日曜日の礼拝で受洗者が二名与えられました。試問会の前に洗礼準備の会をします。それを経て役員会で試問会を開いて承認されて洗礼式を執行します。誓約の三つ目に主の聖餐を重んじ、教会員としてふさわしく生活することが問われます。それに対し志します。と誓約して洗礼を授かります。

教会員としてふさわしい生活とは礼拝生活と献金のことです。それは礼拝を大切にするということです。教会生活はすべて礼拝に向けて整えられています。礼拝をするという行為はさらに言うなら献身生活です。その具体的行為が献金と言う行為と結びつきます。感謝をもって自らのすべてを献げるのです。その行為が礼拝の姿勢です。その背景根底には主イエス・キリストの十字架があるのです。

パウロはここで勧め(パラカロー)ます。「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。」 (1節)
それはパウロからだけでなく、神の側からの要請でもあるのです。神の憐れみ、赦し、即ち十字架の愛によって生かされている我々は自分自身の体をもって主イエスに従っていくのです。我々が献げる礼拝は神が喜んでくださるもので神と一つにされることなのです。それが霊的な礼拝です。大切なことは何が神の御心であるかを求めることです。各自神から授かった信仰の度合い、信仰の計りに応じて慎み深く、おごらずに歩むのです。教会とは一つの体です。その中心に主イエス・キリストがおられます。それを覚えて各自賜った賜物によって奉仕の生活をするのです。そして教会生活の中心に礼拝があるのです。

(2020年1月5日礼拝説教より)

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