「霊の思いは命と平和」
更新日:2019.11.27
ローマの信徒への手紙8章1-11節 (新約283頁)
米倉 美佐男牧師
「肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、神はしてくださったのです。つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。」 (3節)
今朝の個所はロマ書の中で核になる大事な部分です。キリスト教の中心であると言えます。キリスト・イエスに結ばれている。キリスト・イエスによって罪から解放されている。イエス・キリストが私たちの罪を取り除くために、罪深い肉、人間と同じ姿でお生まれになり、罪を処断されたのです。神の子が人と同じ姿でこの世に贈られたのです。
キリストの霊をもって生かされる幸いを、自分自身のこととして捉えなおしてみましょう。イエス・キリストを通して神の救いに与った私たちは今や罪に定められることはないのです。信仰によって義とされているからです。キリストが世に来てくださったのは罪と死の法則(ノモス)から罪人である私たちを解放するため、律法がなし得なかった罪と死からの解放を与えるためでありました。律法は神から出た霊的なものであります。それを肉の弱さによって無力にしてしまったのです。
肉=罪ではありませんが、肉の内に罪が横たわっていて罪のとりことなり、罪から罪へそして死へと向かう存在になっていたのです。そこに罪を取り除くためにキリストを神は送ってくださったのです。それによって罪と死の古い時代は終わり、新しい義と霊の命の法則が終末的救いをもたらしました。肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和である。肉に従う者は肉を思い、霊に従う者は霊のことを思う。信仰的に生きるか不信仰に生きるかが問われます。二者択一的にあれかこれかでなく、信仰者としての歩みを全うしようと言うのです。私たちは霊によってキリストに属する者とされ真の命と平安が与えられているのです。
(2019年11月17日礼拝説教より)