札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「神の国の実りを信じて」

更新日:2019.11.18

マルコによる福音書4章1-20節(新約66頁)

呉平安教会 小林 克哉牧師

「ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」(8節)

主なる神はこの礼拝に集まったわたしたちを見て喜んでおられます。一人一人が神の言葉の実りだからです。イエスさまは「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われ、神の国の接近・到来を宣言されました。神の言葉を聞いた人々の中から、イエスさまに従う者が現れました。そこに神の国の喜びがあります。イエスさまは種蒔く者の譬えで神の国の秘密を語られました。種蒔く者は、きれいに咲いた花を思いながら種蒔くでしょう。野菜なら収獲の日を思うでしょう。パレスチナの種蒔きは大きく広く種を蒔きます。蒔いた後にあるのはただ茶色い土地だけです。人々の目に神の国は隠れています。しかし豊かな実りの時が来るのです。イエスさまは神の国の全き到来=収獲の日を見つめながら、神の言葉の種を蒔かれました。

イエスさまは町々村々を巡り神の言葉の種を蒔かれました。ところが、多くの人は気づかず、認めず、理解しませんでした。イエスさまの口から直接神の言葉を聞いたにもかかわらず信じない人がたくさんいたのです。わたしたちも家族・友人、この札幌に住む人々に種を蒔きます。道端、石地、茨の中に落ち実りとならない神の言葉の種があります。心萎え、伝道の意欲を失います。しかしこの譬えの強調点は、実る種の方です。

イエスさまは「再び」(1節)語られたとあります。拒否され、受け入れられず、「もういい」と諦めてしまってもおかしくないところで、イエスさまは語られます。直接語ってもダメなら、譬えはどうかと語られるのです。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」神の国の実りを信じて、イエスさまは十字架で贖いの死を遂げられたのです。札幌教会はイエスさまに従い130年神の言葉を蒔き続けているのです。全き神の国の到来=収獲の日を見つめて、神の言葉を蒔き続けていく伝道の旅は、イエスさまと喜びを共にする旅なのです。アーメン

(2019年11月10日礼拝説教より)

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