「聖霊に満たされることを願って」
更新日:2019.9.17
創世記11章1-9節(旧約13頁)
使徒言行録2章1-13節(新約214頁)
ナグネ(洛雲海)牧師
この世でも、この世を越えた世でも、最も貴いものは愛です。神様は愛だからです(ヨハネⅠ4:8,16)。私たちはこの神様によって、その似姿をもって創られました。私たちは愛することを求め、愛されることを求めます。誰でも愛されたいのです。愛したいのです。誰かから憎まれること、嫌われること、無視されることは本当につらいものです。まず愛を持って他の人に向かい生きることが大切です。
愛は言葉にも行動にもあらわれます。生きる上で言葉は鍵です。愛をもって言葉を語り生きることが大切です。
「隣人を自分のように愛しなさい」。イエス様がそう言われました。愛の霊、聖霊をもって言葉を語ることが大切です。人とのコミュニケーションがうまくいかず、誤解が起こるのは愛が欠けているからです。創世記のバベルの塔の話はおそるべき私たちの現実の物語です。この物語は恐ろしいほどに、世界と人間の悲しい現実を描き知らせてくれます。お互いの言葉が通じなくなるというようなことがなぜ起こるのか。人々が互いの言葉を聞き分けられなくなったからです。それは、人間が「天まで届く塔のある町を建て」ようとしたからです。神様のおられる天の高みにまで届こうとした結果言葉が混乱したのです。
使徒言行録の2章1から13節に不思議な出来事が記されています。聖霊の出来事、言葉の出来事です。ここで起こった出来事の後、世界は決定的な大変化を始めました。聖霊に満たされると、人々はほかの国々の言葉で話しだしたのです。しかも外国から来た人々が聞いて分かる言葉を語り始めたのです。皆が理解できる言葉が語られたのです。聖霊に満たされた人々は皆に通じる言葉を語り始めたのです。バベルの塔の出来事の後、世界は言葉が互いに通じない世界となっていました。そのような世界で聖霊が臨んだ人々には変化が起こりました。何と皆が理解できる言葉が語られ、互いに通じる言葉が語られたのです。それが聖霊の業です。愛の霊の業です。聖霊に満たされることを願って愛に満たされて生きるのです。聖霊に満たされると憎しみは消え対立も消え、驚きと相互理解と喜びと感謝に満ち溢れます。神様がそうしてくださるからです。
(一部抜粋、文責米倉)
(2019年9月8日礼拝説教より)