「忍耐・練達・希望」
更新日:2019.9.2
ローマの信徒への手紙5章1-11節 (新約279頁)
米倉 美佐男牧師
今日の箇所から新たな展開へと入ります。1節の書き出しは今までの論旨を要約して語ります。「信仰によって義とされた」、それがこの書の大きなテーマです。その目的は神と人との正しい関係を明らかにすることでした。主イエス・キリストの福音がその証だとパウロは言います。主のご復活が神と私たちとの間の平和です。わたしたちはキリストと出会い、キリストを信じて救われたのです。そこに私たちの求める平和、平安があるのです。
3-5節の苦難、忍耐、練達、希望、ここの箇所、この句はよく覚えられています。この聖句に励まされて信仰生活を送っておられる方々も大勢おられます。み言葉の持つ力の大きさを感じる聖句の一つです。苦難はできれば避けて通りたい、無いに越したことはない。けれども好むと好まざるとに関わらず訪ねてきます。来ないでと言っても来ます。そんな時にどうしますか。それらに打ち勝つ秘訣があります。それは十字架と復活の主イエス・キリストを信じることです。
忍耐とはただ自分の力で耐えるのではなく、復活の主によって助けていただくのです。勇気をもって乗り越えていく、そういう経験を積み重ねることが練達です。その先にあるのが希望です。それは主のご復活に裏付けられた希望です。信仰生活を続ける中で信仰の救いの確かさを実感し、確信するのです。それは信仰者の心の問題です。そしてその心が実践へと発展するのです。神共にいましてゆく道を守り、そこに本当の平安が与えられます。信仰の希望は聖霊によって与えられます。神の怒りよって裁かれて当然の者が救いを得るのです。ただキリストに帰れば良いのです。和解は悔い改めて神のもとに帰ることです。キリストによる赦しです。信仰による神の義と同じです。神との正しい関係の復活です。信じて神の和解を受け、キリストによって神を誇る者と変えられ、神の民とされるのです。
(2019年8月25日主日礼拝説教より)