札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「信仰による義」

更新日:2019.8.5

ローマの信徒への手紙3章21-31節 (新約277頁)

米倉 美佐男牧師

「ところが今や」(ヌニ デ21節)とパウロは語り出します。今までパウロが語ってきたことを要約すると、ユダヤ人もギリシア人もみな罪人で救われないと言うことでした。けれども、ここに至って語られるのはそうではないと言います。聞く者をどん底に突き落としたところで、ここからは状態が一変したと言うのです。律法とは関係なく、律法と預言者、即ち旧約聖書によって神の義が示されたと。

聖書は裁きではなく神の義、救い、福音が明らかにされたと宣言します。その意味で今朝の21節以下の部分は大切です。この手紙の核心部分と言っても過言ではありません。あるいは聖書全体の核と言ってもいい内容を秘めています。何が福音でしょうか、福音とはイエス・キリストを信じることです。律法を守ることによって救われると言うユダヤ教ではいくら求めても得られなかった救い。それが十字架と復活のイエス・キリストに出会い信じて救われた。パウロはそこに生きる基盤を見出したのです。

神の義が律法とは関係なくイエス・キリストの贖によって信じる者すべてに分け隔てなく与えられる。それが神の恵みです。主の無償の愛によって常に義とされる、それがこの先8章まで展開されます。信じさえすればいいのです。イエス・キリストを信じるのです。十字架と復活の主を信じれば救われる。それが信仰による義です。我らが誇るのは主の贖いの信仰のみです。割礼のあるなしによってではなく、信仰があるかないかだけが大切なのです。その信仰を確かにするために律法が不可欠です。なぜなら罪が贖われるために、罪の自覚が必要だからです。律法は人間の罪を明らかにする物差しです。神の義は救いであり福音です。その福音によって律法は維持され効力を発揮できるのです。その律法の成就、完成がイエス・キリストです。その主に信頼し、従う者とならせていただきましょう。

(2019年7月28日礼拝説教より)

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