「すべて可能」
更新日:2019.4.22
フィリピの信徒への手紙4章13-14節 (新約366頁)
米倉 美佐男牧師
「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」(13節)。
今朝は棕櫚の主日です。受難週に入り、次週の主日イ―スターに備えて歩みましょう。先週は自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えた、そして、貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知り、満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっているとのパウロの信仰的実践姿勢を見ることができました。
それに続く今朝の冒頭のみ言葉にも大きな励ましを与えられます。説教題に記したようにパウロは「すべて可能」だと言います。すべてですから何でも可能だということです。そう言うのはパウロ自身です。ただ、「わたしを強めてくださる方のお陰で」わたしにはすべてが可能です、と言っているのです。それはキリストによってだと言います。実際そう訳されている聖書もあります。結局パウロが言いたいのはキリストがいなければ、キリストなしには私たちは何もできない、ということです。
パウロは自分で何でもできると誇っているのではなく、そのような力を持たない私が、主に捕らえられ、主が共にいてくださることによって不可能はないと言い切る信仰を与えられていると言いたいのです。「あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました。」(14節)、大切なことはキリストを中心にした苦楽を共にした強い絆の交わりがフィリピの教会の人々とあったことです。あなたがたは他の何ものにも代えがたい、かけがえのない宝だとパウロは彼らに感謝しているのです。もちろん主にあって。信仰には喜びを求め、感謝することも当然ありますが、主の十字架を思い、主の苦しみを自らも担う必要があるのです。苦しみの十字架の先にすべてを可能にする復活があります。主に従う喜びそして主の十字架を共に負うことのできる恵みを感謝して歩みましょう。
(2019年4月14日礼拝説教より)