「主の死を告げ知らせる」
更新日:2018.12.3
コリントの信徒への手紙一 11章23-26節
米倉 美佐男牧師
「わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。」(23節)
今朝の礼拝は収穫感謝の統合礼拝です。与えられた秋の収穫を神に感謝いたします。
お読みした箇所は聖餐式の時にいつも読むみ言葉です。
主の晩餐の制定語の初めの箇所です。続くみ言葉はパンと杯の意味を語ります。「だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。」(26節)と結びます。
聖餐式の度ごとに聞くみ言葉です。パウロがコリントの教会の人たちに語った時、聖餐式と言う言葉はありません。
当時はまだ主の晩餐でした。聖餐式は後の教会が定めたものです。ただ教会はパウロが言ったように、最初から伝えるべきことを主から受け、伝えてきたのです。パウロは12弟子と違い生前の主イエスとは直接的にはお会いしていません。ただ復活の主との出会いはダマスコ途上の回心の時にありました。間接的であってもキリストを信じる者たちが語り継いできた、伝承されてきたことを継承したのです。
聖書の中では主の晩餐に関する記事はここの箇所が一番早いのです。ここで大事な言葉があります。「わたしの体」キリストの体です。それは教会です。教会はキリストをか
しらとするひとつの体です。わたしたちはその肢体です。
パンを頂き、杯を飲むのは、キリストと一体であることを記念(アナムネーシス・想起)するのです。そして、キリストの交わりに生かされ、相互に一つの交わりに導かれ、信仰共同体の一員となるのです。パンと杯にあずかることによって、救いの確かさを受け、新しい契約を与えられたのです。そして、主が来られる時に至るまで、主の死を告げ知らせるために招かれているのです。
(2018年11月25日礼拝説教より)