「あなたのために思い悩む神」
更新日:2018.9.3
マタイによる福音書 6章25-34節(新約10頁)
小泉 健 牧師
「思い悩むな。心配するな」と主イエスはお語りくださいます。そう言われても、やはり思い悩んでしまうわたしたちです。多くの心配事に取り囲まれています。
主イエスは、わたしたちの悩みをよく知っておられます。主イエスご自身、嘆きの中に生まれました。飢えを経験し、しばしば泊るところを持たずに過ごされました。生きている日々の間、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、神に祈って過ごされました。たくさんの苦しみをしのび、多くの苦しみによって、なお神に従うことを学ばれました。最後は捕らえられ、裁かれ、はずかしめられ、そして十字架にはりつけにされて殺された。生きることのつらさをよく知っていてくださる方が、「自分の命のことで思い悩むな。心配するな」と言われるのです。
主イエスは、神が「父」であることを教えてくださいました。もっともよい父の姿、母の姿を思い描いたら、それが神のお姿だと信じてよい。父である神はわたしたちの必要を知っていてくださいます。そしてわたしたちの命のために思い悩んでいてくださいます。わたしたちが自分で悩むよりももっと深く。だから、父である神に頼って、心配事をすべて神に投げかけてしまったらいい。
心配しなくていいどころか、主イエスは「心配してはならない」と命令しておられます。主イエスを抜きにして、「キリスト者は思い煩うべきではない」ということではないのです。主イエスのお言葉です。「明日のことまで思い悩むな」と命令するとき、主イエスは「明日についてすべての責任を負う」と言っておられるのです。わたしが引き受けたのだから、あなたは心配することをやめなさい。明日のこと、自分でもどうしようもない罪、そして最後のこと。主イエスは全部引き受け、全部自分のことにしてしまわれて、そして言われます。「明日のことを思い悩むな。」
主イエスにあって、わたしたちは神の子です。神があなたの父でいてくださいます。父のふところにあって、わたしたちにはほんとうの平安があります。
(2018年8月26日主日礼拝説教より)