「栄光が世々限りなくあるように」
更新日:2018.5.28
エフェソの信徒への手紙3章14-21節(新約P355)
牧師 米倉 美佐男
「教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。」(21節)
今朝はペンテコステ礼拝です。主イエスが十字架におかかりになり、死んで葬られ、三日目に甦られたイースターから数えて五十日目、エルサレムに集まっていたペトロを筆頭とする弟子たち及び120人ほどの人々が熱心に礼拝を献げていた時に、聖霊が降りました。教会はそれ以来この日を教会の誕生日として大切にしてきました。
「こうして、いろいろの働きをする神の知恵は、今や教会によって、天上の支配や権威に知られるようになった」(10節)。すべての者、ユダヤ人、異邦人を問わず、信じる者は主イエス・キリストにあって神の国を継ぐ者となるのです。それが著者パウロの祈りです。そして、主イエスによってあらゆる不調和に一致が回復することを福音は宣言します。教会はそのために建てられ存在しているのです。
ここに記される祈りに注目しましょう。1.霊によること、2.信仰によること、3.愛によることが課題として示されます。キリストが私たちの心に住んでくださり、私たちがキリストの愛にしっかりと立つ者となることが求められます。キリストの御支配が与えられて本当の平安(平和)があるのです。主の十字架の愛に従う在り方が大切です。キリストの愛に根ざす生活を求める時、信仰者の生活は整えられます。主の十字架の広さ、長さ、高さ、深さに触れる時に神の満ち溢れた豊かさに満たされます。大事なのは主の尽きることのない愛です。パウロの祈りから学べることは、キリストに全幅の信頼を置いて祈ることのできる喜びです。祈るのは自分の求めから入りますが、自分のために祈ることが本当に自分のためになるのではなく、神のために祈る時、自分が本当に生かされるのです。
(2018年5月20日礼拝説教より)