「目を覚ましていなさい」
更新日:2018.5.21
マタイによる福音書24章32-51節(新約P48)
牧師 米倉 美佐男
「だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時にくるからである。」(24章44節)。
終末の時を想起させる人の子預言に続いていちじくの木の教えが語られます。いちじくの葉が育つのは旧約では神の祝福です(ヨエル2・22)。一本の木の成長から人は時や季節を知ることができます。また人為的異変の戦争や自然異変の天変地異からも徴を見、終末が近いことを知るのです。それだけではありません。最も大切なことは、たとえ天地は滅びても主の言葉は滅びることがないという事実です。主が与えてくださる救いは永遠に不変で、揺らぐことはないのです。
しかし、「その日、その時は、だれも知らない。」(36節)。
天使たちも子も知らない。知っておられるのはただ父なる神だけです。人の子の来るのはノアの時と同じです。審判と救いのため、この世の悪が裁かれる時です。その時は予告なしに突然来るのです。だから目を覚ましていなさい、と言われるのです。思いがけない時に人の子は来るからです。それはいつ来るかという期限、時間の問題ではなく、出来事として必ず来ることを意味します。
目を覚ましていれば残されることはないのです。置いてけぼりにはなりません。泥棒がいつやって来るかを知っていたら目を覚まして用心するでしょう。いつ来るかが分からないから人は不安になるのです。でもその時が分かっていなくても備える方法があるのです。眠らないで目を覚ましていることです。もちろん四六時中一睡もしないでといううことではありません。必要な備えをすることです。目を覚ますとは約束の言葉に耳を傾け、信じることです。それが必要な備えなのです。神のみ言葉を信じる者はどんな時、どんなところにいても天に連れて行っていただけるのです。不信仰にみ言葉を疑いあなどるならば取り残されてしまうのです。
(2018年5月13日礼拝説教より)