札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「宮きよめ」

更新日:2018.1.29

マタイによる福音書21章12-16節(新約P40)

牧師 米倉 美佐男

「わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしている。」(13節)

みなさんはイエス様にどのようなイメージをお持ちでしょうか。聖書のどの場面でもイエスさまは穏やかなイメージです。ただこの場面だけは例外です。このような激しい面もおありなのかと驚きます。ロバの子に乗ってエルサレムに入城されたイエス様は二日目に神殿の境内で、商売している人々を追い出し、両替人の台、鳩を売る者の腰掛を倒されたとあります。

旧約聖書のマラキ書3章の記事に「レビの子らを清め金や銀のように彼らの汚れを除く。彼らが主に献げ物を正しくささげる者となるためである。」とあります。宮きよめの記事からイエスを革命家として見る解釈もあります。でもそれは間違いです。宮きよめの記事はイエスのメシア性とメシアが示す神の神殿、そして宮であるキリストの教会が本来の務めである神礼拝を通して讃美する所であることを示されたものです。

神殿は「祈りの家」です。「わたしは彼らを聖なるわたしの山に導きわたしの祈りの家の喜びの祝いに連なることを許す。」(イザヤ56章7節)、さらにエレミヤの言葉「お前たちはあらゆる忌むべきことをしているではないか。わたしの名によって呼ばれるこの神殿は、お前たちの目に強盗の巣窟と見えるのか。」(エレミヤ7章11節)。主は今、私たちの教会にどのような思いでお立ちになられるでしょうか。私たちは自分の気持ちを満足させるための交わりを求めるのでなく、悔いた心と祈りの礼拝を献げていかなければなりません。それがかなう時主の癒しが与えられるのです。そして幼子と共に主をホサナと讃美することができるのです。教会は祈りの家です。神を礼拝する者は霊と真理をもって礼拝するのです。

(2018年1月21日主日礼拝説教より)

前のページに戻る