「すべての人を照らすまことの光」
更新日:2017.12.25
ヨハネによる福音書1章6-13節(新約P163)
牧師 米倉 美佐男
「言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。」(11節)
アドベント(待降節)の第3週です。ヨハネの記事に耳を傾けましょう。神から遣わされた人ヨハネ、彼は光について証をし、すべての人が信じるようになるために遣わされました。彼自身は光ではありませんでした。ヨハネとはバプテスマのヨハネのことです。
ヨハネが伝えた言、光はメシアである主イエス・キリストのことです。メシアがイエス、キリストがイエスだと伝えても通じない人たちに、ヨハネはロゴス(言)、フォス(光)を用いて伝えたのです。ヨハネの福音書は「初めに言があった」と始めます。言はギリシア語のロゴスの訳です。それは伝達手段の言語以上の知恵や力、業をも有している単語です。ヨハネはキリストにそれを当てました。
創世記に神は最初に「光あれ」と言われてすべてのものを創造されました。光が最初からあり、すべてのものを照らし導いています。主イエス・キリストは創造の最初から神と共にあり、神であられた、それがヨハネの証言です。神の言葉には力があります。ヨハネはその証人であり、さらにこれを聞く、読む私たちも主の証人となるのです。
ヨハネはキリストがこの世に来て下さったのに、世はキリストを認めず、ご自分の民も受け入れなかった。約束されたメシアが現れたのに皆が歓迎したわけではなかったと言います。しかし、信じた者たちもいました。彼らには神の子となる資格が与えられました。ヨハネの福音書の著者は言います。「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また信じてイエスの名により命を受けるためである。」(20章31節)主イエスをまだ知らない人たちにまことの光を伝える務めが私たちにはあるのです。
(2017年12月17日主日礼拝説教より)