「迷い出た一匹の羊」
更新日:2017.9.19
マタイによる福音書18章10-14節(新約P35)
牧師 米倉 美佐男
「そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」(14節)
「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。」(10節)
小さい者を一人でも軽んじてはならないとは、兄弟を見くびる、見下すなということです。自分たちだけが救われているとふんぞり返り、驕り高ぶる者たちがいたのです。主イエスは救いを求めている者たちを念頭において語られています。
「あなたがたはどう思うか。」(12節)
そして有名な「迷える羊」の話をなさいます。百匹の羊がいてその内の一匹が迷子になりました。あなただったらどうします?羊飼いは残りの99匹を山に残しておいて、迷子の羊を捜しに行きます。そして見つけたらその1匹が見つかったことを何よりも喜ぶのです。とても心が温まる話です。福音書ではルカによる福音書15章3-7節にも出てきます。部分的に違うところもありますが共に失われた羊の大切さが強調されています。
迷い出た羊、軽んじられた小さな者、それは誰なのか。それは私たちなのです。今これを聞いているあなたなのです。自分が迷っていることに気づかないのが私たちです。主イエスは道をそれて迷った者を何よりも優先して捜してかださるお方です。道をそれた者が悔い改めて帰ってくるのを第一の喜びとされるお方です。私たちは迷える羊で主が捜し、見つけてくださるのです。それを喜び感謝できるなら今度は私たちが迷った羊を捜しに行くのです。少なくとも迷子の羊が帰ってこない方がよかったなどと思ってはなりません。自分自身が迷える羊だった、という自覚のもとに、主が自らを犠牲として救って下さったことを覚えましょう。羊は百分の一でも十分の一でも、羊一匹の価値は一匹であり、かけがえのないものだと主は示しておいでなのですから。
(2017年9月10日主日礼拝説教より)