札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「自分を低くして」

更新日:2017.9.4

マタイによる福音書18章1-9節(新約34頁)

牧師 米倉 美佐男

「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか。」(1節)

冒頭の言葉は主イエスの弟子たちの言葉です。まったく情けない、この期に及んで一体全体彼らは何を考えているのか、がっかりしてしまうような言葉です。それはまた私たちの現実の姿でもあるのです。イエスは一人の子供を呼び寄せて弟子たちの中に立たせて言われます。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」(4-5節)。

主イエスは弟子たちのふがいない姿を頭ごなしに叱るのではなく本人が認めざるを得ない仕方でやさしくしかも鋭く指摘なさいます。子供のようにあれ、当時の価値観は子供は無価値でちっぽけな存在くらいの意味で考えられていました。主が子供のようにと言われる時、その意味は子供のように頼るべく者に頼る生き方をしなさい、ということです。だれに従うかを問われているのです。

誰を本当のメシアとして信じることが大切かをお示しになられたのです。あなたがた弟子が求めることは私がメシアであることを求めることだと。それなのに自分が一番だとか二番などと言っている場合ではない。大切なことは「自分を低くして」私に従う者となることだと。メシアを求めている者たちをつまずかせないようにしなさい。つまずきは避けて通ることのできないものだが、つまずきを与えないように、人を滅びにおいやることがないように。御国において偉いのは、自分を捨ててみ使いと共に、兄弟の救いのために仕える者となる事です。自らを低くされた主にならい己を低くして主と兄弟に仕えて歩みましょう。

(2017年8月27日主日礼拝説教より)

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