「聞いて悟りなさい」
更新日:2017.6.26
マタイによる福音書15章1‐20節 (新約聖書29P)
米倉 美佐男 牧師
「聞いて悟りなさい。」(10節)
ガリラヤ湖周辺を伝道し、数々の癒し、奇蹟をなされた主イエスの評判は遠くエルサレムにまで伝わり、わざわざイエスを無き者にしようと、ファリサイ派と律法学者たちがエルサレムからやってきました。彼らはイエスに言います。「なぜ、あなたの弟子たちは、昔の人の言い伝えを破るのですか。彼らは食事の前に手を洗いません。」、衛生上のことやマナーの悪さを指摘したのではなく、汚れの問題、律法規定違反が問題だと難癖をつけたのです。
弟子たちの不法行為は師であるあなたの責任だと言うのです。手を洗わねば律法違反という律法(トーラー)規定はないのです。イエスのお答えは明確です。あなたがたは律法、律法言うけれど、あなたがたの解釈は間違えている。自分勝手な解釈を押し付けるな。その実例として主は十戒の第五戒「父と母を敬え」(出20)を取り上げ、食べ物の供え物(コルバン)規定(マルコ7・11)を勝手に作って、神への供え物とすれば、父母に食を与えないで良いと言うようなひどい仕打ちをしている。大きな矛盾だと。
主は預言者イザヤの言葉を語ります。「この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間の戒めを教えとして教え、むなしくわたしをあがめている。」(イザヤ29・13)。群衆に向かっても語ります。「聞いて、悟りなさい。口に入るものは人を汚さず、口から出てくるものが人を汚すのである。」(11節)。ファリサイ派たちは主の言葉につまずきます。聞く耳を持たないからです。弟子たちも悟れません。神の言葉を正しく知るためには、都合の良い解釈で知ろうとするのでなく、素直に聞く事です。神の御旨を求めて祈り、聞く姿勢が一番大事なのです。人間の作った教え、規定は心の肉欲を防ぐことはできません。御言葉の権威のみが人を救い清めるのです。
(2017年6月18日主日礼拝説教より)