札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「毒麦の譬」

更新日:2017.5.8

マタイによる福音書13章24-43節(新約P25)

米倉 美佐男 牧師

「そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く、耳のある者は聞きなさい43節)
マタイの13章は天国の譬シリーズです。ここから天の国の譬えが語られます。その第1番目が「毒麦の譬」です。前回と同じように解説があり、その間に「からし種」と「パン種」の譬がサンドイッチされています。「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。」(24,25節)。

芽が出て実ります。良い麦だけではなく毒麦も育ちました。僕が主人に言いました。畑に蒔いたのは良い種だけだったのに一体だれが毒麦を蒔いたのでしょう。主人が言います。それは敵の仕業だ。僕たちはそれなら悪い毒麦は抜いてしまいましょうと言います。主人は「いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜いてしまうかもしれないから、刈り入れの時を待って、それから刈り入れ、分けて集めて、毒麦を処分して焼こう。その後、麦の方は倉に納めればいいと。

36節以下でこの譬を説明します。良い種をまく者はイエス様、畑は世界、良い種は御国の子たち、毒麦は悪い者、サタンの子たち、毒麦を蒔いた敵はサタン、刈り入れは世の終わり。刈り入れる者は天使たち。譬の意味は人の子、イエスは終末の裁きを語ります。終末につまずきとなるもの、不法を行う者どもは集められ、燃え盛る炉の中に投げ込まれると。その時にはいくら泣きわめいても時すでに遅しです。だから今のうちに御言葉に聞いて悔い改めて神に立ち帰れと言われるのです。この譬の意味は、しっかりと御言葉を聞き、生かされて歩むことを教えています。「刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。」(30節)神の国の力を信じて主の御心に信頼し従う群れであり続けましょう。そして、共に刈り入れの主のみを見上げて歩むのです。

(2017年4月30日主日礼拝説教より)

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