「種まきの譬」
更新日:2017.5.2
マタイによる福音書 13章1‐23節(新P24)
牧師 米倉 美佐男
「あなたたちは聞くには行くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。」(14節)
今朝の聖書の箇所は少し長いですが三つの部分に分かれます。最初は種をまく人のたとえ(1-9節)です。次はたとえを用いて話す理由(10-17節)、最後はたとえの解説(18-23節)です。内容は種まきが種をまいたという話で、蒔かれた場所は道端、土の少ない石地、茨のはえた地、これらにまかれた種は鳥に食べられたり、芽は出したもののすぐに枯れたり茨に塞がれたりで育ちませんでした。良い土地に落ちた種は実を豊かに結んだという話です。そして言われます。「耳のある者は聞きなさい」と。
弟子たちが主イエスに聞きます。「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と。主のお答えは弟子たちには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからだと。どういうことでしょう。本来譬を用いて話すのは事を分かりやすくするためですがむしろ譬をかたることによって話をぼやかしているかのようです。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できない。おまけにイザヤの預言は彼らは理解せず、悔い改めないからいやさない、とのことです。けれどもここに本当の意味がありました。そのような者にも主は約束通り現れてくださり、今、目の前にいるのだと。
天国の秘密それは今、明らかにされた事実だと。多くの預言者や義人が待ち望んだメシアがここにいる。御言葉を聞いて悟る者は実を豊かに結ぶことができる。だから聞くべきことを聞きなさい。真剣に御言葉を悟ることをしないと患難、迫害、世の思い煩い富の誘惑によって実をむすぶことができない。救われないのです。御言葉を聞いて悟る者は実を結ぶ、確かな救いを得るのです。御言葉に聞き従う者となりましょう。神の言葉を退けて永遠の命にふさわしくない者とならないように。
(2017年4月23日主日礼拝説教より)