札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「あなたの罪は赦される」

更新日:2017.3.13

マタイによる福音書11章20-30節(新P20)

牧師 米倉 美佐男

主は言われます。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」(28-30節)。

本当の救い、正しい福音を聞くためには主イエスを正しく知ること、主イエスを真のメシア、キリストと信じることが必要です。それしかないのです。ですから神を知るにはイエスの元に来て従うしかないのです。求める人々に主は真剣に向き合い、「わたしのもとに来なさい」、「わたしの軛を負いなさい」、「わたしに学びなさい」と言われます。
主の呼び掛けはすべての人を招いておられます。その招きに応じなければその責任はその人にあります。主の招きに素直に応じることが選びなのです。

重荷とはここでは律法や様々な伝承、伝統による、律法主義的戒律の不自由さを言います。休ませるとは憩いを与えることです。それによって回復が与えられることです。軛は本来牛馬に好き勝手に動かせないための道具ですが、わたし(主イエス)の軛、つまりイエスといつも共にあることです。いつも主と共にあるならばそれこそこのうえない喜びです。そして学ぶのです。「主イエスの柔和と謙遜」を。自分は知恵があり、賢いのだから、今更神についてイエスから教えていただかなくても結構、と拒絶したのが当時の知識人、ファリサイや律法学者たちでした。キリスト
を必要としない、主の救いを必要としない者たちです。福音に聞き従わない者には裁きが来ます。知らされているのに知らされていないかのようにふるまったり、神の言葉が正しく告げられているのに聞こうとしない者は救いからもれてしまいます。だから自分の思いのうちに留まらないで罪赦された者として主イエスに従って歩むのです。

(2017年3月5日主日礼拝説教より)

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