「わたしは福音を恥としない」
更新日:2017.1.10
ローマの信徒への手紙1章16‐17節(新P273)
牧師 米倉 美佐男
「わたしは福音を恥としない。」(1節)
2017年の元旦に新年礼拝を献げることを感謝します。先に頂いたクリスマスの恵みをもってこの年も主イエスと共に歩みましょう。今月に一般映画館で封切られる「サイレンス」(沈黙)という映画があります。スコセッシというアメリカ人の監督の作品です。映画に興味のある方は見てください。日本人にとってキリスト教とはという問いと、この国にキリスト教が根付けるのかということについて考えさせられる内容です。
信仰をあらためて自分自身に聞く、問い直すことから仕切り直しましょう。「わたしは福音を恥としない」とこの手紙の著者パウロは言います。福音とは何か。それを恥としないとはどういうことか。福音は直訳すればグッドニュース、良い知らせです。何が良い知らせなのか。それはイエスがキリスト、私たちの救い主である。主イエスご自身が私たちにとってグッドニュースです。キリストと出会い、主の民とされた者は、福音によって生かされるのです。
パウロそして彼の時代に生きていたキリスト者たち、そして今の時代に生きる私たちも、伝道に困難な時代の中で主に出会い救われた信仰者です。パウロは人生の終盤でローマ帝国の囚人として裁判を受けるためにローマに行きました。しかし、それはまだ見ぬローマにいる同信の友たちの信仰を励ますため、そしてその先にはスペインへの伝道計画も目論んでいました。福音を恥としないは消極的言い方です。実際当時の教養人たちにとっては具にもつかない信仰だと思われていたのです。パウロの語り口には謙遜でありながら力強い内側から燃え滾る信仰の情熱を感じます。
恥じるどころか誇っているのです。伝道のために。「正しい者は信仰によって生きる」(ハバクク2章4節)、誇る者は主を誇れと言いつつ主イエスを全力で伝えます。
(2017年1月1日新年礼拝説教より)