「新しい皮袋に」
更新日:2016.11.28
マタイによる福音書9章14-17節(新P15)
牧師 米倉 美佐男
「なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」(14節)
今日の礼拝は収穫感謝・統合礼拝として献げます。前回のマタイの家での食事が罪人との交わりだとファリサイから断罪されました。続いて今朝は食べることに関係して断食が問題にされています。今度はヨハネの弟子たちからの批判です。ユダヤ人としての生活習慣で、断食という大事な生活上の習慣を無視することはおかしいと言う指摘です。信仰と生活という大切な問題です。
断食は自分の罪を悔い改めて、神の憐れみを求める時に行います。純粋に神に祈る信仰の行為です。人に強制したり、形式的にするものではありません。また行為そのものに宗教的意味を持たせたり、それをすることで功徳を積んだり、宗教的熱心さを示すものでもないのです。主イエスは語られます。今は喜びの時だと花婿の譬えで語り、ご自分が花婿で今は祝いの時、そして花婿が奪い去られる時が来る。それは主イエスの十字架の時です。その時には断食が行われると。
福音の与えてくれる自由さ、生き生きとした喜び、価値観がイエスと共に、イエスを信じるならば与えられます。新しい布、古い服の譬はイエスとそれに対するユダヤ教を示します。イエスと共に生きる新しい生き方は、今までの古いユダヤ教のもとでの生き方に縛られないのです。両方上手く合わせて取り繕うような生き方は綻びが生じます。信仰生活はつぎはぎではないのです。誤解しないで聞かなければなりません、古いものがみな悪くて、新しいものがいいという話ではないのです。古い伝統にしがみついて、自分を正当化し、目の前にいる主イエスを正しく受け止めることができない生き方に対して、あなた方は何を大切にしなければならないのかを示されたのです。主イエスと共に生かされる喜びと感謝、それが収穫感謝の喜びです。
(2016年11月20日収穫感謝統合礼拝説教より)