「岩を土台とする」
更新日:2016.8.16
マタイによる福音書7章24-29節(新P12)
牧師 米倉 美佐男
「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。」(24節)
「狭い門から入りなさい」、「偽預言者を警戒しなさい」、「岩の上に自分の家を建てた賢い人」これらは、いわば山上の説教の結論です。今朝の話は、時代を越えても生活の場が違っても良く理解できる話です。家の土台は固い岩の方が崩れやすい砂の上より良いことは当然の事です。ここで共通するのは共に建てるのは「家」です。家そのものに違いはありません。土台の立つ場が違うのです。家が建てられる場所と環境は、「雨が降り、川があふれ、風が吹いて」は同じで、違いは一方が岩の上、他方は砂の上です。
生活の場、環境が同じですから、襲って来た災難も同じです。災難、嵐は昔からいつやってくるかは分かりません。突然やって来て、その被害は結構千差万別です。しかし、キリストは偽預言者のこともそうですが、最後の審判、裁きを意識して語られています。「一度だけ死ぬことと、死んだ後、裁きを受けることとが、人間に定まっている」(ヘブライ人への手紙9・27)これはすべての人に共通しているのです。
ここでしっかりと見て聞かなければならないことは、共通点より相違点です。同じ試練に会った時、一方は倒れ、一方は倒れなかった。倒れたのは砂の上、倒れなかったのは岩の上、つまり土台を据えるのが崩れにくいところか崩れやすいところかです。建てた者が賢いか愚かかも問題です。その場合の賢さ、愚かさは信仰的なものです。神の言葉に基礎を置くキリストという土台の上に自らの人生を委ねるのです。崩れない岩とは「わたしのこれらの言葉を聞いて行う」ことです。キリストの御言葉に聞いて従うのです。そこに本当の救いがあるからです。
(2016年8月7日主日礼拝説教より)